神戸地方裁判所 昭和62年(ワ)394号 判決 1990年11月22日
原告(反訴被告)
片山義美
被告(反訴原告)
合田正彦
主文
一 原告(反訴被告)と被告(反訴原告)間において、原告(反訴被告)の被告(反訴原告)に対する別紙事故目録記載の交通事故に基づく損害賠償債務が存在しないことを確認する。
二 反訴原告(被告)の反訴請求を棄却する。
三 訴訟費用は、本訴反訴を通じ全部被告(反訴原告)の負担とする。
事実及び理由
以下、「原告(反訴被告)片山義美」を「原告」と、「被告(反訴原告)合田正彦」を「被告」と略称する。
第一請求
一 本訴
主文第一項同旨。
二 反訴
原告は、被告に対して、金四二五万一〇〇〇円及びこれに対する昭和六二年一〇月二二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、自動車と衝突した自動車運転者の一方が、右衝突した他方の自動車運転者との間で右交通事故に基づく債務の不存在確認を請求(本訴)し、右衝突により負傷した右他方の自動車運転者が、右債務不存在確認を請求した自動車運転者に対して自賠法三条に基づき損害賠償を請求(反訴)した事件である。
一 争いのない事実
1 本訴・反訴に共通
(一) 別紙事故目録記載の交通事故(以下、本件事故という。)の発生。
(二) 原告の本件責任原因(自賠法三条・民法七〇九条)の存在。
2 反訴
(一) 被告主張の、同人が本件事故により腰部外傷性Ⅰ型・頸椎挫傷・腰椎挫傷の各傷害を受けた事実。
(二) 被告の本件通院期間中次の期間。
春日病院 昭和五九年五月一八日から同年七月三一日まで。
吉田病院 昭和五九年七月二四日から昭和六〇年二月五日まで。
神戸みなと病院 昭和六〇年二月二七日から昭和六一年六月二八日まで。
(ただし、後記争いのある本件受傷の症状固定時期と関連し、右通院期間の一部にも本件事故との間の相当因果関係の存在につき争いがある。)
(三) 損害の填補額 合計金一四三九万一〇九八円。
治療費合計金二三五万〇八六〇円、休業損害その他合計金一一〇五万八〇〇〇円、労災保険休業補償給付金九八万二二三八円の総計。
三 争点
1 被告主張の本件受傷内容の一部(第五腰椎分離症・バレー・ルー症候群)。
2 本件症状固定時期 被告主張 昭和六二年九月一〇日
原告主張 昭和六一年一月三一日
右時期との関連で、被告の本件入院期間の全部及び通院期間の一部と本件事故との間の相当因果関係の存否。
3 被告の本件事故当時における既往症等の存否。
4 被告の本件損害額(ただし、反訴請求分)
5 損害の填補による本件損害消滅の成否。
第三争点に対する判断
一 被告の本件受傷内容
被告は、同人に本件事故後発現した第五腰椎分離症・バレー・ルー症候群も本件事故による受傷内容の一部である旨主張する。
1 しかし、右第五腰椎分離症については、後記認定のとおり本件受傷内容の一部とは認め得ず、むしろ、被告に本件事故当時存在した既往症と認めるのが相当である。
2 バレー・ルー症候群については、確かに、右症状と被告の後記糖尿病との間の関連性を認めさせる証拠もある。(甲一二の一、四、一三の一、本件鑑定結果。)
しかしながら、証拠(甲一一、一二の一、二、乙九。)によれば、被告の本件受傷内容がバレー・ルー症候群として初めて診断されたのは、神戸みなと病院においてであるが、被告が右病院において診察治療を受ける前の治療機関、即ち、同人が昭和五九年七月二四日から昭和六〇年二月五日まで本件治療を受けた吉田病院においても、同人は外傷性頸部症候群の傷病名で治療を受けていたし、右両病院では、被告に対する診断傷病名が異なつていても、被告の症状(頭痛・項部の張り・目の異常等)に大差がないこと、バレー・ルー症候群は鞭打ち損傷によつて発生する傷病であるところ、被告も本件事故によつて頸部挫傷の傷害を受けたことが認められる。
右認定各事実を総合すると、被告が神戸みなと病院において診断されたバレー・ルー症候群なる傷病も、同人が本件事故により受けた傷害の内容をなすと認めるのが相当である。
二 本件症状固定時期
1 被告の本件主張事実にそう証拠(乙一、三、四、被告本人。)によつても、右主張事実は、未だこれを肯認するに至らない。
2 かえつて、証拠(甲三、五、一一、一二の二、一五、被告本人、本件鑑定結果。)によれば、被告車の本件事故による損傷状況は、後部バンパー凹曲損・後部フエンダー曲損・小破というものであり、右車両は、右事故後自力走行が可能であつたこと、被告は右事故当日右事故の被害者として管轄警察署所属警察官の取調べを受けたが、被告は、その際、自分の怪我は今のところない、ただ腰をのばすと痛む、後で病院へ行つて診てもらう旨供述していること、同人が本件事故直後診察を受けた春日病院の診断は、右事故当日の昭和五九年五月一八日から同月二四日まで七日間の安静加療を要するとの内容であつたこと、同人は、右病院で通院治療を受けるようになつた後の同月二六日、二八日、ヘルメツトを着用のうえスクーターに乗車して右病院へ赴いていること、同人の右病院における治療内容は、ホツトパツク・頸椎牽引を主体とするものであり、右治療内容は、同人が右病院へ通院している期間中殆ど変わりがなかつたこと、しかして、同人の訴えにかかる項部痛・頭痛は、同年七月三〇日にやや軽減していること、しかしながら、同人は、担当医師の意見に基づかない、即ち独自の判断に基づいて、右病院へ通院中の同年七月二四日、吉田病院へ赴き、春日病院へ通院治療中であるがあまり軽快しない、吉田病院での治療を希望する旨訴え、同日から吉田病院での診察治療を始めていること、右病院でも、同人に対し、外傷性頸部症候群の傷病名の下に鎮痛剤等の投与・ホツトパツク・頸椎牽引等の治療を開始したところ、ただ、右病院の右同日のカルテには、同人の第七頸椎付近に圧痛があるとの記載以外に他覚的異常を認める記載が全くないこと、右病院の同年八月一〇日のカルテには、同人の左後頭神経圧痛等の記載があるが、それ以外には、頸椎レントゲン写真に頸椎の直線化現象(ただし、病的所見ではない。)が見られる程度であること、なお、右同日の右カルテには、スパーリング・ジヤクソン両テストともその結果はマイナスである旨の記載があること、右病院の同人に対する同年九月以降昭和六〇年三月七日までの治療は、ホツトパツク及び頸椎牽引を主体として行われたが、右病院の右治療に関するカルテには、同人の後頭部や僧帽筋等の圧痛所見が散見するものの、他覚的異常神経所見の記載がないこと、右カルテには、昭和五九年一〇月三〇日同人に対して行われたスパーリングテストの結果はマイナスであつた旨記載されていること、同人は、右病院へ通院中の昭和六〇年二月二七日、春日病院から吉田病院へ転院した場合と同じく独自の判断に基づいて、神戸みなと病院へ赴き、主として腰痛を訴え、時に左膝に痛みが走るときがある、昨年五月追突事故に会い鞭打ちで休んでから再び乗車したらおかしくなつた旨申告をし、右同日から右病院における診察治療を受けていること、右病院の同人に対する治療内容は、鎮痛剤等の内服・注射や湿布であつたこと、右病院の担当医師が、同年三月二日から同人に対してリハビリテーシヨンを開始したこと、同人の頸部症状についての訴えがその後も継続したが、右病院の同人に対する治療内容は、昭和六〇年六月から同年一二月までの間も鎮痛剤等の投与とリハビリテーシヨンと殆ど変わらず、右担当医師が、昭和六一年九日、経過が長い、この半年程は病状に変わりがない、一月末頃で打切りへとの意見を表明していること、被告の同年一月三一日までの右治療内容も従前と変わりないこと、特に、右同日のカルテには、同人に対して右同日行われたスパーリング・イートン両テストの結果はいずれもマイナスである旨記載されていること、が認められ、右認定各事実に照らしても、被告の右主張事実は、これを肯認するに至らない。
むしろ、右認定各事実を総合すると、被告の本件症状は、遅くとも昭和六一年一月三一日に症状固定したと認めるのが相当である。
3 被告の本件受傷の症状固定が右認定説示のとおり昭和六一年一月三一日である以上、同人の本件事故と相当因果関係に立つ治療期間(ただし、通院期間。)は、右事故当日の昭和五九年五月一八日から昭和六一年一月三一日までの六二四日間というべきである。なお、証拠(甲一〇、一二の一、二、一五。)によれば、被告の右治療期間内の実治療日数は、春日病院において四七日、吉田病院において七三日、神戸みなと病院において一八〇日、合計三〇〇日であることが認められる。
三 被告の本件事故当時における既往症等の存否
1 証拠(甲一二の一、二、四、一三の一、一五、一六、乙一一、一二、被告本人、本件鑑定結果。)によれば、次の各事実が認められる。
(一) 第五腰椎分離辷り症
(1) 背椎分離症は、主として第五、時に第四腰椎に発生しやすく椎弓の関節突起間部に離開のあるものをいうが、背椎分離症が存在する場合しばしば辷り症を合併する。
背椎分離症の原因は、先天性の骨形成不全と持続的な過度の荷重による骨の疲労によるとされている。即ち、外傷のような急激な外力で発生するものではない。急激な外力では、骨折の形態をとるのである。
その症状は、腰痛であり、診断は、レントゲン写真検査等で容易に確定できる。
(2) 被告は、本件事故に先立つ昭和五九年五月四日朝、スクーターに乗車して出勤する途中乗用自動車の飛び出しを避けようとしてスリツプしスクーターともども路上に転倒する事故に遭遇した。
そして、同人は、右同日の右事故直後春日病院に赴き診察を受けたが、その時の診断は、左肘打撲及び挫創・左腰部挫傷という内容であつた。
右病院では、その際、同人の右患部付近のレントゲン写真検査を行つたが、右レントゲン写真のフイルム中、腰椎分四枚の内正面像を除く側面像と両側斜位像(左右一枚ずつ)に明瞭な第五腰椎分離症の存在が認められた。辷り症は、当該両側斜位像において骨の重なりにより明瞭に描出されていないが、側面像において第五腰椎分離症に加え明瞭な第五腰椎と第一仙骨との間の辷り症の存在が認められた。
(3) 被告は、本件事故直後診察を受けた春日病院でも、腰部付近のレントゲン写真検査を受けたが、その腰椎分四枚には、右(2)のレントゲン写真と同じ所見が認められ、その側面像において明瞭な第五腰椎分離辷り症が認められ、その程度も右(1)の場合と同等であつた。
なお、被告は、右診察の際、腰痛を訴えているが、以後右病院の同人に対する治療は、前記認定のとおり頸部症状主体で進められており、右腰痛は、本件事故当日のみの一過性に発生しているだけである。
(4) 被告が昭和六〇年二月二七日神戸みなと病院に赴き診察を受けたこと、同人のその際の申告内容等は、前記認定のとおりである。
同人の右申告内容からすると、同人の当時における腰痛は同人が乗車業務を行う際発生したものと認められる。
しかして、同人に本件事故直後のレントゲン写真検査において第五頸椎分離辷り症の存在が認められたことは右(3)において認定したとおりであるところ、右症病を有する者は、その腰部の脆弱性故に、通常では疼痛を発生し得ないような動作でも、しばしば腰痛を発生させるものである。同人の、右時点以後の腰痛も、この場合に該当する。
(二) 糖尿病
被告が昭和六〇年二月二七日から神戸みなと病院において本件受傷の治療を受けていたことは前記認定のとおりであるところ、同人は、同年七月から、右病院(内科)において右治療と合わせ糖尿病の治療(薬物・食事療法)を受けていた。
しかして、右糖尿病の発現が本件事故と相当因果関係に立たないことは明らかであるから、右糖尿病は同人の私病である。
したがつて、右病院(内科)における右糖尿病に対する治療は同人の私病に対する治療となるが、右治療の内容程度等については、その詳細を記録した資料がない。
しかしながら、糖尿病が神経系障害(疼痛・知覚異常等)や合併症としての糖尿病性網膜証(視力減退・失明)を惹起する可能性は否定できないところ、被告の右病院における本件受傷関係治療のカルテには、右糖尿病が惹起する症状と同じ症状の記載が認められるから、右受傷関係治療の対象とされた同人の症状に右糖尿病が影響している可能性を全く否定し去ることはできない。
2 右各認定説示を総合すると、
(一) 被告の第五腰椎分離辷り症は、本件事故以前から存在したもの、即ち、本件事故とは相当因果関係に立たない、同人の既往症と認めるのが相当である。
したがつてまた、被告の昭和六〇年二月二七日以後における腰痛関係治療も、右事故と相当因果関係に立つとは認め得ないと、さらに、同人の右同日以後昭和六一年一月三一日までの本件治療には、右事故と相当因果関係に立つ本件受傷に対する治療と右腰痛関係治療とが混在していたというべきである。
(二) 同人の糖尿病も、同人の私病であつて、右糖尿病に対する治療は、右事故と相当因果関係に立たない、しかしながら、右糖尿病の存在が右事故と相当因果関係に立つ本件受傷関係症状に寄与していることは否定できないというべきである。
四 被告の本件損害額
1 休業損害 金五八六万五六九六円
(一) 証拠(甲五、一五、乙五、六、被告本人。)によれば、次の各事実が認められる。
(1) 被告は、本件事故当時神鉄交通株式会社にタクシー運転手として勤務し、一日平均金一万〇〇四四円(円未満四捨五入。以下同じ。)の収入を得ていた。
(2) 被告の本件治療期間が昭和五九年五月一八日から昭和六一年一月三一日までの六二四日であることは、前記認定のとおりであるところ、被告は、右期間中の昭和五九年一二月二〇日から昭和六〇年二月初旬まで少なくとも四〇日間出勤就労したので、本件休業期間は五八四日となり、同人は、右期間中無収入であつた。
(二) 右認定各事実を基礎として、被告の本件休業損害を算定すると金五八六万五六九六円となる。
金1万0044×584=金586万5696円
2 慰謝料 金九〇万円
以上認定の本件事実関係を考慮し、被告の本件慰謝料を金九〇万円と認めるのが相当である。
3 被告の本件損害の合計額 金六七六万五六九六円
4 被告の本件損害と同人の既往症等との関係
被告に本件事故当時第五腰椎分離辷り症の既往症が存在したこと、本件受傷の治療に右既往症の治療も混在していたこと、また、同人の私病である糖尿病に基づく症状の本件受傷に基づく症状に対する寄与も否定できないことは、前記認定のとおりである。
右認定説示に基づくと、右既往症及び右私病の存在が被告の本件治療期間を伸長させ、同人の本件損害を拡大させたというのが相当であつて、かかる場合に、被告に生じた本件損害の全てを原告に負担させることは、不法行為責任としての損害の公平な負担という立場からみて不当というべきであるから、被告の本件損害から右既往症や私病が右損害に寄与する割合に応じて右損害額を減じ、その限度で原告に本件責任を負担させるのが相当である。
しかして、右既往症及び右私病の存在の本件損害に対する寄与度は、前記認定説示の全事実関係に基づき、四〇パーセントと認めるのが相当である。
被告の本件損害金六七六万五六九六円を右説示に基づき減額すると、その後に被告が原告に請求し得る本件損害は、金四〇五万九四一八円となる。
五 本件損害の填補による本件損害の消滅
被告の本件損害額が金四〇五万九四一八円であり、同人が本件事故後受領した損害填補額の一部(治療費及び労災保険休業補償関係を除く。)は金一一〇五万八〇〇〇円であるから、被告の本件損害が右損害填補部分のみで既に全額填補ずみであることは、その計数上明らかである。
(裁判官 鳥飼英助)
事故目録
一 日時 昭和五九年五月一八日午前九時二四分頃
二 場所 神戸市中央区八雲通六丁目三番一号先路上
三 加害(原告)車 原告運転の普通乗用自動車
四 被害(被告)車 被告運転の普通乗用自動車
五 事故の態様 被告車が、交差点手前の本件事故現場において信号待ちのため停車中、原告車から追突された。
以上